いなべ市|情報誌「Link」2016年9月号(vol.153)
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 学校給食は、明治22年に山形県の小学校ではじまりました。このときは経済的に苦しい児童にだけ提供されていました。その後、他の地域にも広まり、栄養改善の方法として推奨されます。昭和15年には、栄養不良児や身体虚弱児も対象に。戦後まもなく全国の児童300万人に実施されるようになりました。 現在、学校給食の目的は、児童が安全で栄養バランスの取れた食事を摂取し、健康を保持するだけではありません。学校教育法に基づく学校教育の目的を実現する活動の一環として、実施されています。配膳検食ワゴン配置員弁西小に到着すると、子どもたちより先に藤本孝徳校長が検食。牛乳もしっかりチェックします。用務員、配膳員がクラス別に配置。温かいおかずは食缶の中でホカホカ。牛乳は配膳直前まで冷蔵庫で保管します。当番以外の児童もマスクをして順番待ち。台拭き、ゴミ拾いの係もいます。日の献立は「鮭フライバーガー」今日本で初めての給食は… 焼き鮭、菜の漬物、おにぎり この日の献立は鮭フライにトマトスープ、ゆでキャベツ。パンには真ん中に切れ込みが入っています。「いただきます!」のあいさつのあと、子どもたちはまわりの友達と相談します。 「フライをパンにはさむ?」「ソースはどこにつけたらいい?」 そのままおかずを箸で食べたり、フライとキャベツをパンにはさんだり、ソースだけ別皿に移したり。それぞれ自分の好みの食べ方を探しています。 きのこや魚は苦手な子どもが多いのですが、「今日のメニューでは鮭が好き」と話す子も。苦手な食材もフライにするなど食べやすいように調理されています。また、楽しんで食べられるよう提供方法も工夫されています。約130年で大きく変化32016.9 Link

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