いなべ市|情報誌「Link」2015年8月号(vol.140)
2/20

語り継ぐ七十年 戦争があった時 敬さんが小学1年生の時に召集令状(赤紙)が届き、大工だった二宮さんの父敬三さんは、陸軍の建築部隊に入りました。昭和17年9月、広島を船で出発し戦地へと赴いた敬三さんは、ニューギニア マノクワリに上陸した1週間後の昭和18年11月24日、激務による過労のあまり、脳溢血で戦病死されました。村長が自宅に来て、訃報を伝えた時、母 美津尾さんが泣き崩れたことを鮮明に思い出すそうです。敬さんは9歳で戦争遺児になりました。 当時の記録が数多く残っています。敬さんのご両親は非常に筆まめで、たくさんの手紙をやりとりしていました。また、死者が多く出る戦乱の前に亡くなったため、部隊の上司はその時の様子などを書いた文書や遺品を遺族に送ることができました。 想像してみてください。 幼い子どもや妻を残して、戦地に向かった父親の想い。息子の帰りを待つ母親の想い。今年8月、終戦から70年を迎えます。戦争の記憶を語り継ぐこと。これは、私たち世代に託された使命ではないでしょうか。1.昔の手紙を前に当時の話をする敬さん2.敬三さんが敬さんに宛てた手紙3.敬三さんが亡くなる時の様子がしたためられた隊長からの便り4.敬三さんの遺品2341小学1年生で父親が出兵二宮 敬さん 79歳 (大安町片樋)22015.8 Link

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です